2009年6月19日金曜日

私の自然療法

今年も、田舎からびわが送られてきた。
この季節になると、らっきょ漬けや梅干し作りなどで、
台所しごとが増えてくる。

アミグダミンたっぷりのびわの種酒やびわの葉酒を作るのが
我が家の恒例行事となって3年。

びわの種酒は、茶色の皮をむくと一層おいしくなると何かで読んだので、
手がかかるけど、一粒づつ愛情こめてむいてホワイトリカーに。 2年くらい経つと熟成してとてもおいしいので、ゆっくり待つことに。

あと昨年同様、はちみつ漬けにする予定。

ハチミツ漬けのびわ種は、毎日2個くらいづつ食べようとしたけど固くて、苦くてたべられなかったけど、玄米と一緒に炊くと柔らかく食べられた。






先日より、新たに始めたのが「スギナ茶」。

がん患者のための自然療法の講習会で、びわの葉温灸の
手当の仕方や
スギナ茶の効用を教り、試飲したことがきっかけ。

東城百合子さんの「家庭でできる自然療法」や
「ビワの葉自然療法」にも紹介されていたので、
気にはなってたけど、実行に至ってなかった。

やはり実際に教わることの動機は強い。

スギナ茶は、どくだみ茶のように匂いやクセがなくて、とても飲みやすい。
びわ茶とブレンドしてもGood!

家の近くにスギナがいっぱい自生しているので
採りに行ってはせっせと干している。4月〜7月までは採れるそうだ。

びわの葉温灸(腎臓、肝臓、丹田に当てる)もこの6月から、再開。
ちょっと不思議なことが起こっている。

今年に入ってから、骨転移の左手根骨部分に違和感と力が入らないなどの症状があったのが、びわの葉温灸を始めて3日頃より違和感が無くなり、今では全く健常になり、左手で何でもできるようになった。
別段変わったことはしていない。びわの葉温灸とスギナ茶を始めたことくらい。

何が効いたのかどうか、また今だけなのかどうか分からないが
副作用もなく、身体に優しいことは続けていきたい。
自然の中には、宝物がいっぱい。感謝し、楽しみながら。。


2009年6月14日日曜日

乳がんの告知を受けた頃

がん総合検査を受けた施設からの結果が待てず、メールにて催促して
1週間後に伺い、モニターを見ながらの告知となった。
胸の辺りと腰部分が黄色く光っていたのを覚えている。

私の場合、頭の中が真っ白になったり、真っ黒になったり、
まっ黄色になったり(これは無いか?)はしなかった。

「あーっ、やっぱり。。肺や胃でなかって良かった。」

肺がんではと思っていたので、最悪の中のbetterだった。
「あーっ、やっぱり」は、がんになってもおかしくない生活や
ストレスをかかえていたから。

後日、

「ガンをつくる心 治す心」土橋重隆著(主婦と生活社)
「病気になる人、ならない人 その見逃せない法則」土橋重隆著(ソフトバンク新書)





を読んで、納得。

著者の土橋重隆さんは、末期ガン患者の治療を通じてガン発症の原因を追求!

「心が引き起こす乳ガン、肺ガン、大腸ガン」の存在を明らかにし、
予防や治療に欠かせない
心の重要性を説いている。

その中で右乳がんと左乳がんいなる人の原因について、興味深い考察がある。
以下HPにも書かれてあったので
(44.右乳ガンと左乳ガンの性格の違い http://www7b.biglobe.ne.jp/~kcm44374/C6_5.htm)
以下抜粋:
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
帯津三敬病院で多くの末期ガンの患者さんを診ていた私は、患者の一人一人に
「何故、あなたは
ガンになったと思いますか?」という質問を繰り返しました。
(省略)
私が担当する患者の中で最も多かったのは乳ガン患者でした。そこで、
まず乳ガン患者にガンに
なるまでの生活習慣や生き方、心配事、仕事や家庭に
至るまで詳しく質問し分析した結果ある事実
が判ってきたのです。(省略)

左乳ガン患者の生活について詳しく調べると、だいたいガンと診断される半年
前から1年くらい
前に体をボロボロに酷使するような肉体的ストレスのピーク
があったことがわかりました。
性格について見た場合、左乳ガンの患者さんは、心根が優しく人のいいタイプ
がほとんどでした。
何か頼まれたら断れないタイプが多く、「誰かが職場を辞
めたので仕事量が2倍、3倍になった」
といった状況におかれ肉体に過度の負
担をかけてしまったのです。
この肉体的ストレスがガンを急速に進行させるき
っかけになったのではないかと推測されます。


では、右乳ガンの患者はどうか。発病前の生活について詳しく聞くと、ある共
通点が浮かび上が
りました。
それは、どの右乳ガン患者も長年にわたり「家庭内の問題で強いストレスを感じ
ていた」という
ことです。特にその大半は、夫に対する不平不満でした。
夫との関係があまりよくなく、とくに離
婚話が出ていたとか、そこまで行かなく
ても、ことあるごとに腹が立つのを我慢していたとか、心
理的に強いストレスを
感じていたのです。
性格については、右乳ガン患者はおしなべて論理的で
しっかりと自分の考えを持
っているタイプが多いことが判りました。(省略)


左右にかかわらず乳ガンの患者は、基本的にまじめです。それが災いして、左乳
ガンの患者さん
は肉体的ストレスを強いられることに、右乳ガンの患者さんでは
長期にわたる心理的ストレスにつ
ながったと見ることが出来ます。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

長くなったが、私の左乳がんも土橋さんの書かれている通りだった。
仕事と母と義母のことをかかえ、睡眠も十分とれず動き回っていて
告知前までの肉体的ストレスは、ピークに達していた。

なるべくしてなったなという思いと共に、心の奥の方でこれで誰憚ることなく
ゆっくりと眠れるという安堵感のようなものがあった。
事実、夜はぐっすりとよく眠れた。夫は、がん告知を受けたというのに
よく寝ている私に驚いていた。むしろ、夫の方が暗かった。


とはいえ、骨転移のステージ4の乳がん患者である。

やはり、死を意識したし、当時知識がなかったので骨にどうして
がん細胞があるのか理解できなかった。自分がどのような状態であるのか
分からなかった。
病気に関しての情報収集(西洋医学中心)で、ネット検索していた最初は、
医学的専門用語に圧倒され、どんどん脅されているようで、怖かった。

乳がん情報が得られると、次は、骨転移した乳がん患者のHPばかり
読むようになった。これら闘病記の方が病気を理解しやすかったし、
骨転移した乳がん患者が、健常者同様に生活している様子も伺え、
かすかな希望も見えてきた。

とにかく、私が死と向かい合い、深い孤独感を味わったのは、10日間ほど。

それから入院まで、仕事の整理と入院準備と免疫治療決定で忙しく、
涙を流す機会もなかった。


そう、涙といえばいつも想いだすあの頃がある。
告知まもない頃、ツタヤで「恋愛適齢期」を借りてきて見たこと。
私の大好きなジャック・ニコルソンとダイアン・キートンのふたりの共演
による
熟年男女の恋愛をテーマにしたロマンチック・コメディ。
これを見た時は、感動?笑い?の涙が出た。乳がん告知も忘れ、映画に浸った。

書き始めたら、いろんな方向にいってしまい収拾がつかない。
一つ大切なことを忘れていた。
私の第一腰椎(現在の多発性骨転移も)は、痛みもかすかな自覚症状もない。
骨転移で、無痛の人は2割くらいいるそうである。その中に入ったのだから
私は、私のがんちゃんに感謝感謝である。

病気の前後、見た目も全く変化がない。
むしろ睡眠をとるようになって、顔色が良くなったほどである。

仕事関係、近所の人、友人の半分には、カミングアウトしていない。

何も変わらないように見えるが、私の中では少しづつ変化が。。。

2009年6月13日土曜日

私の治療歴サマリー


私と「私のがんちゃん」との出会いと今までの付き合いは、下記のとおりです。
のろのろ検査に耐えきれなくて、自分でPETの総合がん検査を予約し、その結果、乳がん、
しかも第一腰椎に転移というステージ
IV期の告知ときた。

それから、免疫療法(私のがん治療の唯一のこだわり)や、乳がんについて調べたり、、
毎晩遅くまでPCに向かってへとへと。
仕事の整理や自分の入院準備に加え、義母と私の母もよりにもよって、
なんと私と同時期入院。Oh!my God!
ややこしいことがいっぱいあって、入院までにしなくてはならないことが山積。
ほんと、超忙しかった。



そろそろお風呂に入って、びわ温熱湿布をする時間となったので
今日はとりあえず、このあたりまで。

私の乳がん治療歴


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■ 病期:StageIV (告知時第一腰椎に転移。現在全身にひろがり多発骨転移)
■ しこりの大きさ:左乳房約5cm×5cm
■ リンパ節転移の数:9個/12個中 
■ 組織型:浸潤性乳管がん
■ 受容体検査:エストロゲン受容体:陽性 / プロゲステロン:陽性 / HER2受容体:陰性 
■ 手術:2004年12月2日(左乳房切除&同時再建)
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2004.10.05 人間ドッグにて、CEA26.5(乳癌検診では異常なし)
2004.11.01  がん総合検査(PET、MRI、CT、他)
   11.08  上記検査結果→乳癌、第一腰椎転移告知
   11.15  S病院にて、MRI 、骨シンチ検査で乳がん確定
   11.22  OS病院 I先生へセカンドオピニオン
   11.28  乳癌フォーラム/乳がん患者会へ入会
2004.11.30 〜 2005.01.13 S病院入院 / 12.02 手術(左乳房切除&同時再建)
2006.01.25  W病院 O先生へセカンドオピニオン
2007.01.30  O病院 T先生へセカンドオピニオン
2007.09.22  H病院 W先生へセカンドオピニオン 

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化学療法    
●2004.12.16 〜2005.03.25  CE(エンドキサン+ファルモルビシン)

(以上4クールで終わり、5月よりタキソールを6ケ月勧められたが中止)

免疫療法(DC+LAK)瀬田クリニック系(かとう緑地公園クリニック)
●2005.01.25 / 02.09 / 03.04 / 03.18 / 04.01 / 04.22 (合計6クール)

ホルモン療法
●アリミデックス           2005. 02.19〜10.14 (約9ヶ月)

●フルツロンカプセル200(2カプセル/日) 2005.10.15〜11.17 (約1ヶ月)       
●アロマシン             2005.11.18〜2006.02.17 (約3ヶ月)

●ノルバディックス          2006.02.18〜09.11 (約7ヶ月)
●フェマーラ             2006.09.16〜2007.02.02(約4.5ヶ月)
経口抗がん剤
●ゼローダ8錠(2週+1週休み)      2007.02.03〜10.05(9ヶ月)

ホルモン療法
●ゼローダ8錠(2週+1週休み)+ノルバデックス 2007.11.10〜12.07(2ヶ月)

●ノルバデックス            2007.12.08〜2008.02.08(2ヶ月)
●エンドキサンP錠+ユーエフティカプセル各3錠  2008.02.09〜02.29(3週間)
●休止                 2008.03.01〜03.07
●ヒスロンH1200mg(6錠/日)      2008.03.08〜12.19(8ヶ月あまり)
●フェアストン錠40(3錠/日)        2008.12.20〜2009.02.21(2ヶ月)
●ノルバデックス            2009.02.22〜05.30(3ヶ月あまり)

アレディア点滴
●2005.04.22〜2006.09.01 (毎月1回)    

ゾ メ タ
●2006.10.13〜現在 (毎月1回)

    
検査 
2005.02.04 心電図、胸のレントゲン➡異常無し 

   02.07 心エコー→異常無し 
   03.25 骨シンチ➡他へ転移は今のところ見られず。
   08.19 心電図、胸のレントゲン→異常無し
   10.25 肺のCT検査(11.15結果)→肺・肝臓異常無し、胸椎再発
   12.21 骨シンチ(12.28結果)→胸椎?
2006.01.19 腹部、肝臓エコー(1.20結果)→肺、肝臓転移無し
   09.15 CT検査(9.30結果)→肺、肝臓への転移なし、第一腰椎増強、左pedicleに進展
   09.29 骨シンチ(10.13結果)→肋骨,右臼蓋上部
2007.03.02 造影CT検査 乳腺エコー異常なし 
2009.02.06 骨シンチ、MRI、CT検査 →多発骨転移(胸骨、左右肋骨、仙腸関節、
                   
右上顎、左根骨、他)
    
そ の他
●丸山ワクチン    2004年12/10〜 AB(週3回) 2006年4/10〜現在 AA(週3回)

●漢方(十全大補湯) 2004年1/17〜2006年12/20
●漢方&鍼灸 兵庫県立尼崎病院/東洋医学研究所 2006.12.20〜 現在   
●ピロリ菌の除菌 2005.08.30〜09.05  
●メラトニン20mg   2004.12.20〜2006.03月末 2007.12.03〜 現在
●アホエン      2006.08〜 現在   
●マルチビタミン   2006.09〜 現在
●ホメオパシー    2006.05.18〜06.18(浄化セット)2006.10/8〜11
●気功教室 2005.04〜 現在 藤谷康充先生の「引き受け気功」(2005 月1回 )
●爪もみ       2004.11〜 現在 
●玄米菜食      2005.01〜 現在

2009年6月8日月曜日

ブログ始めも、私らしい。。。

そう、ブログを始めようと思ったのは、退院直後。

忘れっぽい自分のために、人生の一大事をメモしておかないと
何がどうだったのか分からなくなるなあと思ったから。

それから4年とちょっと、経ってしまった。
私は、何を隠そう生来そのような傾向「超グズ」なのである。
お手紙をいただいても、返事は1月後、最長で1年後なんてざら。

そんな私が、先日iGoogleから何気なくアカウント→Bloggerに手が、、、
その気なんてその瞬間まで全くなかったのに、設定してしまったのが
始めたきっかけ。

タイミングがずれまくって、今に至ったけどまあのんびりと
始めてみるかな。あまりにも時間が経ったので臨場感にも欠けるし、
何から書き始めたらいいのか、頭の中は真っ白な状態である。

確かに乳がんをきっかけに、私自身は180度とはいかないけど
120度くらいは変わったと思う。
少しずつそんなことや治療について、書いていきたい。