2010年1月17日日曜日

遅くなったけど、定期診察結果報告

1月15日は、月1回の診察日。
私にとっては、すごくうれしい結果が出た。マーカー値CEA(正常値5.0以下)が昨年まで200〜300づつアップしていたが、12/11 2461.9 → 1/15 2376.7 とほんの少しながら下がっていた。主治医は「横ばいだね。」とそっけなく言ったけど、私は内心「やったー!!」上昇しなければ横ばいでもなんでもうれしい。ますます全身に骨転移が広がり「多発性骨転移」と書かれてあるが、昨年よりホルモン剤と毎月のゾメタだけである。それでも2008年10月までヒスロンHでCEAが50まで下がっていたが、それから今に至るまで上昇するばかりだった。誤差程度の下がり具合だけど、私にとっては画期的なことなのだ。

で、ついつい何が効果があったのか、思い起こしてみた。(この間、新たに始めたこと)

  • この日の採血の時、自分の血液に向かって「ありがとう」と心の中で何度もつぶやいた。
  • 2009年10/27〜12/14 にかけて、ハイパーサーミアを8回した。
  • 2日前の鍼灸治療。
  • 12月半ばよりソルトスタジオ尼崎通い(6回)
  • 通院前日、神社の「どんと祭り」で燃え盛る炎を2時間あまり見つめながら、心身を浄化、健康を願った。

どれが効いたのか、定かではないけど、この調子で心身からのアプローチは続けようと思った。ほんと、わたしのがんちゃんに感謝。
背筋皮弁による乳房同時再建の後遺症なのか、左背中からウエストにかけての手術跡を中心に重たく、身体が自由に動かない状態は依然続いている。この5年間一度も症状が出てなかったのに、こういうこともあるのだろうか?腰痛の時サラシを巻いていたのを思い出し、このところ毎日巻いている。しっかりと固定され安心感あるし、あたたかい。

私の身体は、だんだん良くなる! だんだん軽くなる!

2010年1月14日木曜日

鍼灸と漢方


今日(12時過ぎたので昨日)は、鍼灸と漢方の通院日。

鍼灸の谷村先生(兵庫県立東洋医学研究所付属診療所)に昨年 12月半ばからの背中から腰部にかけての痛みを説明したら、足の先から頭まで鍼とお灸をいつも線上にいっぱいしてくれるのだが、今日はそれ以上に数を増やしてしてくれた。気を入れてたっぷりと治療してくれた。

谷村先生の意見では、痛みの原因は、●更年期障害 ●心のストレス ●多発性帯状疱疹の前段階(可能性は低いが)といつもながら分かり易く説明してくれた。

1時間以上の治療を終え、「あれ?」「あれ?」「あれ?」もちろんいつものように腰は無いように軽いが、背中の痛みがほとんど消えている。さっきまであったのに!帰りの動作も軽やか、血色がよくなって顔は真っ赤。ほんと、谷村先生には感謝感激。うれしくてたまらない。

その後、東洋医学科の西森先生に。先生にも同様のことを伝えると、原因は心因性のものだと言って、漢方の中身を少し変えてくれた。明日から煎じて飲むのが楽しみ〜

痛みが無くなるということはこれほどうれしいことか!(全体の重さは少し残っている)夫も同様に通院しているので、帰りはふたりで梅田でお茶を飲んだり、うろうろしたりはしゃいでしまった。

谷村先生、西森先生、いつもありがとうございます。

たまたま淡路島観光協会の人が、水仙を梅田阪神電車乗り場で配っていて、もらったのが上写真。香りもすごく良く、幸せな気分にしてくれました。

2010年1月11日月曜日

続・痛み

昨年12月半ばからの痛みの続きだが、今だに痛みが移動している。今年3日右腰上部から、右腕中央部分の痛みに変わり(2日間ほど)、次は腰全体が重くなり、昨日よりウエスト中央部分の痛み、先程より背中上部の痛みに移動している。

じっとしている分には痛みは気にならないが、身体を動かす姿勢によって痛みを感じる。うなりながら動いている。骨転移のせいとしたら、痛みがぐるぐる移動するなんてないのでは??痛みが移動する度に以前の痛みは気にならなくなるし、どうなっているのかなあ。

そう言えば、12月に青森の大切ながん友が亡くなり、この9日には、5年来のがん友が亡くなった。その影響かもしれないと思い当たった。もう10年位前生涯を共に過ごす約束をした親友ががん死した時も、似たようなことがあった。腰痛になり1週間寝たきりとなったのである。 鈍感なようで心は身体にダイレクトに伝わっているようである。多分そんな気がする。だからきっとそのうち治るに違いない。自分の身体にいっぱい「ありがとう」言おう。

そんな中今日は、気になっていた食器棚の掃除と整頓をした。不要な物を処分し、きれいになった棚を見て、気分晴々うれしくなった。気持ちのいいことを少しづつ続けていきたい。

続・続・痛み

そんな私を気使ってか、夫も腰痛になった。痛みは、やはり心と深くつながっているらしい。病気の意識から抜け出て、自分の中心をちゃんととろう。心のありようが、即人生、「心にないことは生じない」と中村天風も言っているではないか!潜在意識までしっかりと落としこもう。そうそう、恐怖心や心配や不安や悲しみは禁物。今を楽しみ味わいつくそう。

2010年1月8日金曜日

10年日記



19年間、日々の覚え書きとして日記をつけている。5年日記(1990-1994)、5年日記(1995-1999)、10年日記(2000-2009)。今年はどうしようかなと思いつつ購入していなかった。夫は5年日記にしたら?言う。私としては、買うなら10年日記と思っていたが結構高価なので、エクセルでデジタル日記でもしようかと思案中だった。これからも長生きするんだ、元気なんだと思っている自分と夫の5年日記という言葉(私の病気を意識?)に私はどういうわけか過敏に反応し、「私があと5年も生きていられないと思っているの?」と声を荒げてしまった。

それから夫は、2、3日本屋さんに通い10年日記を探して購入してきた。それが右側の日記だ。今までは博文館のシンプルでまだ耐えられるデザインのものを愛用していた。夫の買って来たのは、やぼったく男性的なデザインのもの。これを10年見て暮らすのかと思うと。。。

一瞬腹立たしかったけど、夫は私のことを一心に思い購入してきたのだ。そういう夫なのだ。夫の思いやりなのだからこの10年日記を使用してみようと決めた。案外日々の体調データーの書き込みをはじめいろいろと工夫されており、機能的であった。正月早々、我が家の日記問題は、一件落着。夫に感謝、それから新しい日記帳さん、これから10年よろしくお願いしますね。

2010年1月3日日曜日

昨年末からの痛み

全身骨転移しているにもかかわらず、違和感を感じる程度で痛みを感じたことはこの5年間なかった。治療の副作用もほとんどなく順調であったが、この1年くらいから少し症状(下記)が出て来た。がんのせいか、それとも老化のせいか定かでない。

  • 2008年11/9〜12   帯状疱疹→温泉の効果か、1月ほどで治った。痛みも軽く、跡もほとんど残らなかった。
  • 2009年1/5〜1/30   出血(婦人科検診では異常なし)→漢方を飲み始めて1週間目からぴたっと出血が止まった。
  • 2009年2/2〜3/31   朝起床時のみ、右手のしびれとかいだるさ→手根管圧迫症候群(?)鍼灸のおかげか、自然に治る。
  • 2009年4/20〜5/30 左手首の痛み →自然に治る
  • 2009年12/15〜    左胴体(乳房同時再建した手術跡に沿って)の痛み(体がロボット状態)が年末まで続き、30日くらいから治り、次の日は腰椎の痛み、これも治り、今日3日から急に右腰上部の痛みとなる。→ぐるーっと痛みが回っていってる感じだけど、なんとか良くなっていくような気がする。不思議な私のがんちゃんである。
12月半ばからの痛みは、結構こたえた。思うように体が動かず、かがんだり下着の脱ぎ着も不自由した。トイレも大きい方は力むことができず、、、ベッドから立ち上がることもできなかった。手すりがこれほどありがたいと思ったことはなかったし、お年寄りの気持ちが心底理解できた。今なら身障者用のトイレや住宅プランは、きめ細やかに対応できる。そんな仕事をじっくりしたいなあ。。 痛みがずーっと続いたいたけど、仕事や家事はいつも通り続けた。痛みが出始めた頃は、やっとステージ4の乳がん患者らしく(?)なってきたのかなあと一瞬思ったけど、これはきっと何かのメッセージなのだと思い気持ちを取り直す。

「痛みについて」稲田さんのメルマガの中に、寺山心一翁先生の下記引用があったけど、私も同様に私のがんちゃんに向かい合って、何とか気力で快方に向かいつつある。

寺山先生の本『がんが消えた』(日本教文社刊)の中にそのことが書かれていますので、
その中から一部(77ページ~)を以下に抜粋させていただきます。

 ****以下抜粋*******

私の一生で、止まったことのない自分の心臓が急にいとおしくなって、
上から当てた手を通じて、心臓に向かって、
「心臓さん、本当にありがとう。
 今まで一度も止まったことがないんだね」
と、心から感謝の言葉を掛けた。
何か、胸に込み上げてくる感動に涙が出てきた。
同じようにして、胃も腸も、手も足も、
みんな生きてきたのだということが分かってきたら、すべてが可愛いのだった。

次に右胸に手を当てたとき、肺には感謝ができたが、
肺に転移していたらしい腫瘍に対しては
「ありがとう」という言葉が口から出てこなかった。
かける言葉をいろいろ考えていたとき、突如、
天からか、言葉が降りてきたような感じがした。

「この腫瘍は、自分が作ってしまったんだ。
 自分の悪かった行いの結果である。
 これは自分の子供のようなものである。
 いとおしい子供である」

と、言葉が降りてきたのである。

何か、えもいわれぬ感情が胸の中に湧き起こってきた。
そして自分が作った腫瘍に対して声をかけてあげる言葉が出てきた。
「ごめんね。僕のケアが足りなくて、僕が作っちゃった。 
 言ってみれば、ぼくの子供じゃないか!
 愛しているよ」
と言い終えたら、涙がとめどなく流れてきて、急に痛みが和らいだ。
なんと、耐えられる痛みへと変わっていった。

その夜、私は久しぶりに眠ることができた。
翌日から、私は昼寝のときでも、目をつぶる前には必ず、
腫瘍に「愛しているよ」と言い続けた。
そうやって声をかけると、まるで合図のように、
不思議と痛みが減少するのだった。

稲田芳弘

2010年1月1日金曜日

2010年新年おめでとうございます



今朝は寒かったけど、清々しい正月日和だった。年末までほとんど外出ばかりで、大掃除も手抜き、おせちも黒豆、紅白なます、野菜煮、ごぼうのごま酢煮、お雑煮の準備程度をテレビを見ながらおおざっぱに作っただけ。お正月なんかしなくていいんだと思うと、肩の力がぬけて気持ちもゆったりとしてくるから不思議!

昨日から今日に続き、今日は明日へと途切れることなく続く。私自身もずーっと続いている。突然変わることはない、自分の中心感覚を信頼して少しずつ私らしく変化していきたい。外の世界に翻弄されることなく。そう、今年もよりいっそう自分の感覚・気に耳を傾けそれに従って生きていきたい。社会の常識ばかりでなく、自分自身が作り上げた価値観で自分をがんじがらめにするのはやめて、もっと自由に軽やかに生きてゆきたい。感動は生きる元気と勇気を与えてくれる。今年もたくさんの感動を味わいたい。

写真は、太陽の周りにできた虹。車の中から撮ったのでまあるい虹全体を撮れなかったのが残念です。