2010年9月25日土曜日
フェリチン その2
昨日は、2回目(2週間目)の血液内科受診日だった。
「エクジェイド」効果を期待しつつ、採血の結果報告を聞いた。
フェリチンの値が、高過ぎて計測不可能なこと、とりあえず
「エクジェイド」の飲む量を2倍にし、1月単位でみていきましょう。
ついでにいろいろと先生に質問してみた。
2年前までは、点滴で鉄分を体外に排出していたが、その効果も点滴中だけで
24時間持たなかった。新薬「エクジェイド」は、朝飲むと24時間効き目があり
画期的な薬である。
鉄分は、心臓に付着し心機能を一気に害するとのこと。
心臓が痛く、少し動くと心臓パクパク状態だったのもそのせいだったみたい。
新薬「エクジェイド」が無かった2年前までは、みんな亡くなっていただろうし、
私も主治医に任せていたら、同じ運命だったのだ!
近くの内科医と血液内科にかかっていなかったらと思うと、、、
そんなショッキングなことを改めて知り、
病院から帰宅してから今まで、ずーっと昏々と寝こんでしまった。
不思議なことに食欲はあるので、時々起きては食べている。
「エクジェイド」HP
http://www.exjade.jp/patient/index.html
2010年9月15日水曜日
2010年9月13日月曜日
フェリチン
9月10日に、やっと「血液内科」に院内紹介状で回してもらった。
主治医では、説明してくれないことを聞いて、やはり無理矢理にも
回してもらって良かったと痛感した。
輸血を繰り返していると血清フェリチン値(貯蔵鉄分)が上昇し
心機能、肝機能などの障害を起こすとのこと。
一般の基準値は、4〜87ng/mlだが、1,000ng/mlを越えると
鉄キレート剤による治療に入らなければならない。
たまたま近くの内科で7月13日に調べた血液データーを持っていたので
見せたら、先生も驚き鉄分を体外に出す新薬「エグジェイド」を
処方してくださった。
その時の値は、3125ng/ml
きゅうりを切るだけで心臓ドキドキ、胸の痛みもそのせいだったのかもしれない。
血清フェリチン値を調べること無く、このまま輸血を続け
(その前に鉄分点滴までしていたのに)ていたらと思うとぞっとした。
と同時に主治医に対する不信感が再びわいてきた。命にかかわることを
軽視しすぎである。何人の人が死ななくてもいいのに、死んでいったのだろうか
と思わざるをえない。
病院より帰宅した夜から、38℃以上の熱が2晩3日が続いた。
いつもならこの位の熱は頻繁に出ていたし、へちゃらだったが
今回は様子が違っていた。身体のふらつきはひどく食欲もなく。。
夫は、朝から夜中まで、頭をひやしてくれ、からだをさすり、食べられそうな
ものを作ってくれたり献身的に看病してくれた。(体重が1kg減ったそうだ)
おかげで3日目にやっと平熱に戻り、からだも楽になった。
こうしてブログ更新もできるようになったし、
仕事も情報収集しコンセプトを作成したり、夫と空間のアイデアを
出し合ったりしているとしみじみと幸せだなと思う。
明日も午前中はゆっくり休み、午後から仕事を楽しもう!
2010年9月8日水曜日
最近のお気に入り

夏は麦茶と飲んでいたけど、最近のお気に入りは、仕事先からいただいた「カテキン茶」。
ミネラルウォーターにカテキン茶のティーバッグを入れるだけの超お手軽茶。
この暑いのに毎日麦茶を沸かすのは、負担であった(夫には)。
味もおいしく、完全無農薬茶で安心。
美容、健康にもとてもいいらしい。爽やかなグリーンに氷をいれると涼しげ。
冷たい飲み物は身体を冷やすから良くないと思うけど
この暑さには抵抗できない。
身体の不調と暑さによって、今までの食べ物飲み物の私のルール(気配り)は
一切なくなった。
食べたいものを食べ、飲みたい者を飲み、インスタント食品やジャンクフードでも
食べたいと思ったら食べるように様変わりした。
こだわりがなくなったといったら、聞こえはいいけど
本当はどうでもよくなったのだ。
食べ物に限らず、生活もしかり。寝たい時寝て、夜更かしもするし、
テレビをかけっぱなしにしたり、夜中にMacに向かったり、、
だんだん自分の中のいろんなものが、ゆるんでいっている気がする。
竹林が消えていく

この地に引っ越して、14年になる。
私は唯一、裏の竹林との樹々と畑の残る風景が気にいって
この地を選んだ。
季節毎に発見があった。春は桃の花が咲き乱れ、ふと足下にはつくし、
たけのこもニョコニョコと。ここのたけのこはやわらかくて絶品の味。
夏は木陰をつくってくれ、涼しかったし、秋はコスモスの花、栗や柿も
実をつけ、トンボも飛びかい、まるで山里を思わせた。
ここを歩くと、いつも土の香りがして空気が全く違っていた。
この竹林道が、とうとうなくなるのかと思うと怒りがこみ上げてくる。
周辺の竹林もだんだんなくなり、跡地にマンションが
「自然豊かな環境に、、、」なんてキャチフレーズのチラシが増えている。
一度失われた環境は、取り戻せない。地主が将来を考えず勝手に決め
勝手に開発の波にのるなんて、こんなことがあっていいのだろうか?
市でこの地を買い上げ、自然環境を継承しつつ調和する何らかの
方策を模索すべきではないだろうか。
そうしない限り、この地域の歴史的、文化的、環境価値や格が、失われる。
この地に暮らす喜びや意識は、低下する。
反対の著名活動もなく、知らないまま突然の無惨な風景に
悲しさと無力感で言葉もない。。。
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