2010年11月17日水曜日

その後






1ケ月、更新しなかったけど、この間にもいろいろあった。

10月8日より左耳が突然聴こえなくなり、2週間放置後耳鼻科へ。
原因不明の「突発性難聴」と告げられた。
聴こえなくなってすぐ耳鼻科を受診していたら良かった。
それから、6日間1日も日をあけずにステロイドの点滴(2時間)が続いた。
ステロイドのせいで一気に体重は5kg増。終わると共に、手と顔と脚のむくみ
もとれ(一晩10回ほどのトイレで)5kg減。

結局、回復せず、常時金属音がし、多人数のところへ行くと
全く会話が反響して聴こえない。左側からしゃべってこられると
内容が把握できない。

それでも聴こえるようになるように祈りながら、毎日耳の周りをもんだり、
ツボを押したり、ついでに目のまわりも軽く押さえたりもうこれ以上
今ある機能が衰えないようにしている。

まだまだあった。
11月5日に採血すると、白血球が1100に!!
抗がん剤治療もしていないのにこれほど下がるとは。
白血球を上げる注射をし、抗生物質を処方され、マスク着用を
言われた。自覚症状は全く無かったのに、2日後にまた採血。
正常に戻ったけど、私の右腕は、針の穴だらけでかわいそうだった。

その間も、吐き気が続き、トイレにかけこむことしばし。。。
今も続いている。

病院と家のみの生活もあきあきして、家族3人で外食をした。
フラフラしながらでも、久しぶりの外出でうれしかった。
近くの大型家電のレストランフロアでベトナム料理を食べたけど、
梅田の「ベトナムフロッグ」の方が好みだった。

紅葉も見に行きたいなあ〜




2010年10月19日火曜日

松茸


近くに住む弟の義父より、立派な国産松茸をいただいた。 我が家では、ほとんど買うことがないので、家族みんなびっくりするわ うれしいわで、しばし香りを楽しんだ。

もちろん松茸ごはんを作り、お代わりし堪能した。 今日は、松茸のお吸い物をしようかと思う。

いろいろとあるけど、おいしいものが食べられて幸せ。

バラが咲いてうれしい。




このところ次から次にバラの花が咲いて、香りと共に楽しませてくれる。
家庭菜園は、今年の暑さでだめだったけど、このバラは葉も伸び、いつもより
蕾がたくさんつき、楽しみである。

最近の私の症状だけど、1週間前にエクジェイドの副作用で、早朝4時間ほど
吐き通しとなり(胃液のようなものしか出なかったけど)、今も休薬している。
2倍の量に薬が増えたあたりから、むかむか吐き気はあったけど
我慢していたけど、さすがあの吐き気の恐怖から飲みたくない。
飲まないと心配ではあるが、、、

左耳も聴こえなくなった。耳鼻科に近々に行く予定だけど、いろいろと
出てくるなあと不思議と人ごとのように思える。もう、暗い話題はいや!!







2010年9月25日土曜日

フェリチン その2


昨日は、2回目(2週間目)の血液内科受診日だった。

「エクジェイド」効果を期待しつつ、採血の結果報告を聞いた。

フェリチンの値が、高過ぎて計測不可能なこと、とりあえず
「エクジェイド」の飲む量を2倍にし、1月単位でみていきましょう。

ついでにいろいろと先生に質問してみた。

2年前までは、点滴で鉄分を体外に排出していたが、その効果も点滴中だけで
24時間持たなかった。新薬「エクジェイド」は、朝飲むと24時間効き目があり
画期的な薬である。

鉄分は、心臓に付着し心機能を一気に害するとのこと。
心臓が痛く、少し動くと心臓パクパク状態だったのもそのせいだったみたい。

新薬「エクジェイド」が無かった2年前までは、みんな亡くなっていただろうし、
私も主治医に任せていたら、同じ運命だったのだ!
近くの内科医と血液内科にかかっていなかったらと思うと、、、

そんなショッキングなことを改めて知り、
病院から帰宅してから今まで、ずーっと昏々と寝こんでしまった。
不思議なことに食欲はあるので、時々起きては食べている。

「エクジェイド」HP
http://www.exjade.jp/patient/index.html

2010年9月15日水曜日

母の夢


母の作ってくれたおもち6個。

「みんなによくしてもらってるけど、今の私には誰にもお返しができない。」
と言ったら。。。




朝起きて、なぜか涙が止まらなく流れた。







2010年9月13日月曜日

フェリチン



9月10日に、やっと「血液内科」に院内紹介状で回してもらった。
主治医では、説明してくれないことを聞いて、やはり無理矢理にも
回してもらって良かったと痛感した。

輸血を繰り返していると血清フェリチン値(貯蔵鉄分)が上昇し
心機能、肝機能などの障害を起こすとのこと。
一般の基準値は、4〜87ng/mlだが、1,000ng/mlを越えると
鉄キレート剤による治療に入らなければならない。

たまたま近くの内科で7月13日に調べた血液データーを持っていたので
見せたら、先生も驚き鉄分を体外に出す新薬「エグジェイド」を
処方してくださった。

その時の値は、3125ng/ml

きゅうりを切るだけで心臓ドキドキ、胸の痛みもそのせいだったのかもしれない。
血清フェリチン値を調べること無く、このまま輸血を続け
(その前に鉄分点滴までしていたのに)ていたらと思うとぞっとした。

と同時に主治医に対する不信感が再びわいてきた。命にかかわることを
軽視しすぎである。何人の人が死ななくてもいいのに、死んでいったのだろうか
と思わざるをえない。

病院より帰宅した夜から、38℃以上の熱が2晩3日が続いた。
いつもならこの位の熱は頻繁に出ていたし、へちゃらだったが
今回は様子が違っていた。身体のふらつきはひどく食欲もなく。。

夫は、朝から夜中まで、頭をひやしてくれ、からだをさすり、食べられそうな
ものを作ってくれたり献身的に看病してくれた。(体重が1kg減ったそうだ)

おかげで3日目にやっと平熱に戻り、からだも楽になった。
こうしてブログ更新もできるようになったし、
仕事も情報収集しコンセプトを作成したり、夫と空間のアイデアを
出し合ったりしているとしみじみと幸せだなと思う。

明日も午前中はゆっくり休み、午後から仕事を楽しもう!






2010年9月8日水曜日

最近のお気に入り


夏は麦茶と飲んでいたけど、最近のお気に入りは、仕事先からいただいた「カテキン茶」。
ミネラルウォーターにカテキン茶のティーバッグを入れるだけの超お手軽茶。

この暑いのに毎日麦茶を沸かすのは、負担であった(夫には)。
味もおいしく、完全無農薬茶で安心。
美容、健康にもとてもいいらしい。爽やかなグリーンに氷をいれると涼しげ。

冷たい飲み物は身体を冷やすから良くないと思うけど
この暑さには抵抗できない。
身体の不調と暑さによって、今までの食べ物飲み物の私のルール(気配り)は
一切なくなった。

食べたいものを食べ、飲みたい者を飲み、インスタント食品やジャンクフードでも
食べたいと思ったら食べるように様変わりした。

こだわりがなくなったといったら、聞こえはいいけど
本当はどうでもよくなったのだ。

食べ物に限らず、生活もしかり。寝たい時寝て、夜更かしもするし、
テレビをかけっぱなしにしたり、夜中にMacに向かったり、、

だんだん自分の中のいろんなものが、ゆるんでいっている気がする。

竹林が消えていく




この地に引っ越して、14年になる。
私は唯一、裏の竹林との樹々と畑の残る風景が気にいって
この地を選んだ。

季節毎に発見があった。春は桃の花が咲き乱れ、ふと足下にはつくし、
たけのこもニョコニョコと。ここのたけのこはやわらかくて絶品の味。
夏は木陰をつくってくれ、涼しかったし、秋はコスモスの花、栗や柿も
実をつけ、トンボも飛びかい、まるで山里を思わせた。

ここを歩くと、いつも土の香りがして空気が全く違っていた。
この竹林道が、とうとうなくなるのかと思うと怒りがこみ上げてくる。

周辺の竹林もだんだんなくなり、跡地にマンションが
「自然豊かな環境に、、、」なんてキャチフレーズのチラシが増えている。

一度失われた環境は、取り戻せない。地主が将来を考えず勝手に決め
勝手に開発の波にのるなんて、こんなことがあっていいのだろうか?

市でこの地を買い上げ、自然環境を継承しつつ調和する何らかの
方策を模索すべきではないだろうか。
そうしない限り、この地域の歴史的、文化的、環境価値や格が、失われる。
この地に暮らす喜びや意識は、低下する。

反対の著名活動もなく、知らないまま突然の無惨な風景に
悲しさと無力感で言葉もない。。。





2010年8月30日月曜日

気は元気



2階に上がりにくくなったので、朝食と昼食を1階の寝室まで運んでもらって
食べている。メニューは夫まかせ。

朝食は、いつも豆乳バナナジュース(これが最高においしい!)と
グレープフルーツとメプルシロップたっぷりのパン。
お昼は、大体麺類、夜はご飯。

この日は冷やし中華。鶏肉と焼き卵たっぷり、きゅうり、底にはきゃべつ、
上からの写真なので、あまりボリュームは感じないが、横から見ると
相当な量で迫力があった。しかもキムチと甘辛いたれ、これぞ男の手料理。

食欲も無く、あっさりしたものが食べたかったが、夫の愛情ランチ。
思い切って、食べ尽くした。元気がなんとなく出てきた。

午前中はほとんど横になっているが、昼食後はちょっとMacに向かえる。
ロキソニンのおかげもあるけど。

23日に輸血とゾメタをしてから、27日にも輸血(8回目)をした。
このところの身体の不調は以前よりひどい。
TS-1で骨髄抑制が一層進み、このままでいくと取り返しがつかない気がする。
ヘモグロビンの値が8以下だとTS-1服用してはならないらしい。
最近TS-1の薬データーを調べ、分かったのだが。。

今輸血してなんとか7.6
2週間服用し、今休薬中だが9月1日から再び服用が始まるが
危険なので、やめようかと思う。

主治医は、なにも教えてはくれない。多分知らないのだろう。
対処療法を施すだけである。
自分の身体は、自分で守るしかないと心底思った。

貧血に関しても、外科医である主治医には任せられない。
再度、血液内科にまわしてもらえるようにお願いしよう。
それから、トータルでアドバイスしてくれるクリニックに
セカンドオピニオンしてみよう。

ここ2週間、生きた心地がしなかったけど、気を強くもとう。

2010年8月25日水曜日

Oh, My God!!




その日は、突然やってきた。

20〜22日まで仕事に集中し、22日夜メール提出。
左肩から左腕にかけて痛みがあったが、仕事をしていると忘れていた。
提出日の夜、その痛みと全身の異常な倦怠感、胸の痛みで、一睡もできない!

寝ても、立っても、座ってもどのような姿勢をとっても辛くて、、、
あまりの辛さで一晩中、泣き明かした。

朝5時に病院に連絡、救急で行こうとしたが痛みを止めることしか
できないと言われ、少し待って7時30分に行った。

採血の結果、白血球も減り貧血は最悪の数値、もちろん高カルシウム血症
にもなっていた。

ベッドで寝かされ、主治医を待って、ゾメタと6回目の輸血。
この数時間も、いてもたってもいられない辛さだった。

多分、TS-1服用も重なって、急激に状態が悪化したようだ。
今までも立っていられないようなしんどさはあったけど
これほどではなかった。亡くなったがん友達の顔が次から次へ浮かんだ。
「神様どうか楽にしてください。」と何度も心の中でつぶやいた。

病院から帰宅したのは、5時頃。長い一日。
症状は変わらず、ベッドの上でのたうち回り、ロキソニンを服用して
やっと寝られた。

今日やっと自分にもどれ、落ちついてきた。
頭が真っ白になる立ちくらみは、頻繁に起きるが。
昨日までは、心臓がドキドキし脚もふらつき、2階に上がれず状態で
夫の世話になった。夫はずーっと付き添い、身体をさすってくれたり
滋養のある食事を工夫して食べさせてくれた。(写真:昨晩の夕食)

夫がいなかったら生きていなかったかもしれない。大げさではない。。
絶えず気を配ってくれて、ありがとう。



2010年8月12日木曜日

もう十分!


ほんと久しぶりの更新。
あれからもずーっと、症状はよりきつく、ほとんど横になっている日々が
続いていた。

いつもの食事療法、音楽、呼吸法、瞑想、自分なりに実行してきた健康法
などすべてどうでもよくなった。作ってもらった食事をむりやり食べて、
横になっているだけ、しかもこの猛暑の中。
シリアスな気持ちになることも正直あった。

ただただ、楽になりたかった。普通にトイレにもいけて、少しでも歩ける
ようになりたかった。

やはり私の身体は辛い状況まできていた。
貧血はひどく5回目の輸血もした。
驚いたことに「高カルシウム血症」になっていた。心臓がパクパクするし
頻尿、吐き気など気になる症状もあった。

高カルシウム血症はこわいけど、保険でゾメタを2週に1回点滴できる
ようになるのでうれしい。

身体の痛みの原因は、ノルバディックスのせいかもしれないと
1月止めたら、CEAが 2360.4から3277.6と1000近くも上昇していた。
やはり、ノルバは効いていたに違いない。

今年になってから、身体のあちこちの痛みやだるさと向き合ってきたけど
もうこのまま同じ状態ではいたくない!

意を決して8月11日からTS-1を服用することにし、痛みの原因を知るべく
13日には造影剤入りのMRI検査をしてもらうことにした。

もういたちごっこは、十分!  私は復活したい!

今日は、ゾメタが効いてきたのかMACに向かえる。So happy!
よしよし、TS-1も副作用なくきっと効いてくれるに違いない。

写真は友人のYさんにいただいたトルマリンのブレスと
アンダラクリスタルのルミイエロー。

トルマリンは、身体を活性化。石は、第3チャクラに置き
ネガティブエナルギーや恐れを排出してくれるそう。



2010年7月5日月曜日

腰を中心にした身体の重み



その後も腰全体の重みのため、寝ている日が続いた。


そんな中、梅干漬けとらっきょ漬けをしたが、今年は(毎年夫中心だが)ほとんど夫が担当。昨日は、赤しそ漬けを終え、あとは梅雨明けに土用干しをするのみとなった。梅干作りは我が家での一大イベント。ほっとした。

6月23日から27日にかけて、再び寝込み、熱が39℃まで上昇。もともと熱には強い方なのでしんどくもなく、食欲も衰えなかった。よく寝られたのでむしろうれしかった。30日朝起きると、あれだけ重たくしんどかった腰部分が軽くなっていた。

信じられない!思い当たることといったら、前日にThe Divine Name:Sounds of God Codeを聞いたことくらい。以下CDのレビューから一部を

もし私たちのDNAの中に暗号化されている神の名前をオリジナルの形として私たちの声の中で再現できたらどうでしょう?紙の中に分類されている神の名前で はなくサウンドを通して、あなたはパワー、神秘、そしてヒーリングを体験するでしょう。The Divine Nameを通して体験するヒーリングと平安のパワーが今再び・・・

前日に始めて聞いたのだが、強烈な印象感覚を覚えたのを思い出す。私の身体の中で何かが起こったみたいである。収録曲も意味深。
  1. The Awakening
  2. Harmonic Revelations
でもでも、腰が軽くなったと思ったら、5日朝より(その前より何か違和感はあった)左胴体腰部に鈍痛が!どのような姿勢をとっても楽になれず、その夜は朝まで寝られなかった。次から次へといろんな症状が吹き出しているようだ。すべて出し切ったら、きっと楽になることを信じて。

今晩は楽しみ。私の大好きなメリル・ストリープ主演の「恋するベーカリー」のDVDを夫が借りてきてくれたのだ。もともと彼女の大ファンだったけど、「プラダを着た悪魔」「マンマ・ミーア!」「ジュリー&ジュリア」を最近見たばかりで、いろんな彼女の魅力に感激。毎日楽しく暮らしたい!


2010年6月7日月曜日

よく分からない症状


写真を整理していると、以前飼ってた「きららちゃん」のモノクロ写真が出て来た。愛くるしい目、この手でもう一度抱きしめたい!

ブログ更新していない間に、いろいろと、、、

5月30日(日)に、ビッグ・サプライズ!
ピンポーンと鳴って出てみたら、なんと父と母を私の弟夫婦(長男)が、愛媛から連れて来ているではないか。母は糖尿病からの人工透析をしている身、父は呼吸器を常に手放せない状態なのに、何時間もかけて来てくれるのはあり得ないこと。私の身を案じ、必死で来てくれたことに感激した。弟夫婦の突然のプレゼントに言葉が出なかった。

しかも、また野菜や果物ばかりでなく、お寿司や季節のお野菜を煮て来てくれた。それ以前も体調悪かったのだが、おいしくてお腹いっぱいごちそうになった。そのうち、結婚間近の姪も加わり、にぎやかなひとときを過ごした。

私の実家の伝統として、このようなサプライズは日常茶飯事である。私の一番下の弟が先日来阪したのも、なんの連絡も無く。私達兄弟は、大学時代は突然帰省するのが当たり前。また反対もあった。突然の母の訪問とか。そう言えば次男の弟は6人くらい友人を連れて突然帰省したこともあった。いつも驚く顔を楽しみにしている感じ。

このサプライズの後、背中中央に激痛がはしり、2日ほど身動きできなくなった。身体も重く、第3回目の輸血をしてもらった。それでも改善されないので貧血のせいではなさそうである。それで先日、ゾメタの2週に1回点滴が保険で認められてないので却下されたこともあり、放射線治療を進めることにした。首、背骨全体、骨盤、大腿骨を順次していくようですが、出来る限り最低限に押さえたいので、ゆっくりと放射線科の先生と相談するつもり。6年目にして始めて、骨転移を意識したような、しないような??

というのも、普通骨転移の痛みは激しくなることはあっても消えることはないのに、私の身体は背中の痛みが消えたら、次は右肩腕とか、痛み(だるさ)が移動していることである。骨というより筋肉の痛みもあったり、、とにかく不可解で変わった身体である。だからこそあまり気にせず、のんきにしていられる。この3、4日間は、体調が良い。家庭菜園をしたり、手摺の塗装をしたり、家事をしたり、今まで出来なかったことを片付けている。ほんと、しあわせ。


今日のcomepapaさんのブログの
Nicki Parrotの「Fly Me To The Moon」、大好き!






2010年5月27日木曜日

私の弟夫婦



この間の日曜日、私の弟(長男)とそのパートナーから新鮮な野菜がいっぱい届いた。写真左の空豆と手前中央あたりのさやえんどうとグリンピースを始めて収穫したそうだ。ネットで調べながら、豆から蒔いて育てた空豆を私達に食べさせたくて、送ってくれた。以前父も空豆作りに何度も挑戦したが4、5回失敗したことを知っている。無農薬のため、虫がどうしてもついてしまうらしい。それなのにたった一度の挑戦で見事に収穫に至った弟夫婦にびっくりした。

グリンピースごはんに空豆の炊いたんは、この季節ならでは!絶品だった。以前は父母がそうしてくれてたように、弟夫婦や下の弟がいつも適期的に愛媛の野菜、果物、手作り食品や珍しいものを送ってくれる。おかげで我が家は、喜々として豊かで変化に富んだ食生活を楽しむ。

その弟のパートナーが、ユニークでとても楽しい女性である。地元に生まれ、故郷をこよなく愛し、誇りに思っている。私の弟はどちらかというと、活動的でなく地味な性格である。彼女は、祭り好き、旅行好き、好奇心旺盛、おいしもの大好き、フットワークが非常に軽い。地元の穴場、四国の山、名所旧跡、新しい施設、あらゆるところ(もちろん四国以外にも)に出没し、地元の者でも知らない情報通である。電話する度に様々な話題を感動しながら、伝えてくれる。多分ひと味違う四国案内の本が書けると思う。弟は、彼女と結婚してあちこちひっぱっていってもらい、世界が広がったし人生の楽しみを教えてもらったと思う。

また、彼女はお料理も上手で手際が良い。お客さんが何人来ようとへっちゃら、上手に買い物して豪華なお料理でもてなしてくれる。私も帰省する度に彼女の手料理を楽しみにしている。ずいぶん長いこと帰省してないので、帰りた〜い!!!

2010年5月19日水曜日

つっ!遂に!!!




毎年今の時期だけ(いやいや秋にもう一度咲いてたかな?)、華やかに自己アピールをする我が家のクレマチス。手入れも何もしないでほったらかしなのに。。
5月10日前頃から、再び調子が悪くなり、11日から完全にダウン。ホメオパシーの好転反応と思うけど眠れないほどになり、一時中止することにした。
14日の鉄分点滴日には、もう歩行もままならずしんどいので、主治医に「輸血」をお願いした。3ケ月近く輸血を断り続けていたのだが、何もできず夫に介護され続けていることに限界を感じた。

輸血って一定量の血液を静脈内に注入することと思っていたが違っていた。採血しながら基準値まで達するまで、何回かに分けて静脈点滴することを知った。今のところ2回したが、まだ基準値まで達してないので、これからも続く。で、結果だけど輸血したとたんに、急に元気になり、身体も動くようになりその効果に驚いた。いつも横になってしおらしかった私も一変!ああだこうだと口うるさい以前の私に戻る。

貧血と関連することだが、今朝びっくりすることがあった。いつも丸山ワクチンの注射をしてもらっている近所の内科の先生のところに、以前4月6日に血糖値を調べてもらうために血液検査を依頼していて、今日まで結果を聞きに行ってなかったのでワクチンついでに聞きに行った。先生や看護婦さんは、私が入院していたと思っていたらしい。血液検査結果もそれほど悪かったらしい。

その血液検査で、「フェリチン(貯蔵されている鉄)」(4 〜87基準値)が、なんと923もあり、有効に使われていない。鉄不足の場合は、血清鉄がダウンし、不飽和鉄結合能がアップするが、結果は基準値内で正常。つまり私の鉄分は、体内に不足しているどころか多すぎるほどあったようである。今すぐ鉄分の錠剤もやめなさいと言われた。でも遅い!4月6日から今まで、鉄分の点滴(普通の2倍)を週2回も続けてきた。後の始末だからわめいても仕方ない。

その後内科の先生曰く、「血液が骨髄で作られていないのでは?まずは、血液内科なんかで骨髄を調べてもらい、原因をさぐるべき。」(こわ〜い!!)

私の母が糖尿病から人工透析してるため、夫がいつも一度検査をしてもらったらいいとしつこく言うので、何も考えずに血液検査した結果が、思ってもみないことを知らされた。もちろん、血糖値は88で問題なかったが。内科の先生と外科の先生の違いを思い知らされた。

昼から鍼灸と漢方の診察で県立A病院へ。鍼灸の先生に今までの経緯を説明するとどちらかというと近くの内科の先生寄りの感じで、いつものように精一杯スペシャルな治療をしてくださった。身体は一層軽やかになった。次に漢方の先生(内科医でもある)、血をつくってくれる成分を入れてある漢方に十全大補湯を追加してくれた。外科の先生は骨髄を調べたりはしてくれないでしょうとなぜか言われた。ホメオパシーのことを言うと結構受け入れてくれ、あるホメオパス(形成外科医でもある)を紹介してくれた。

ほんと主治医は、専門違い、分野違いによって何人ももつべきである。今日の時点では、鉄分を取ることをすぐやめることが分かっただけなので、まだまだどうすべきか私自身分からない。近々、整体(野口整体)の先生にも行ってみようかと、それから今月末には最も信頼している腫瘍内科医の先生にもお会いできるので、相談してみよう。

今日のことば:主治医をひとりしかもたない患者は、最も命を縮める。

どなたかのB型の血液をいただき、今こうしてブログ更新もできるようになり感謝するばかりです。みんなに生かされていることを痛感します、ありがとう!

2010年5月6日木曜日

デメリーの追加


今日5日、追加のデメリーが届いた。
  • サポートChi (マザーチンクチャー) (血)
  • TS-21 (骨)
  • シンファイタム 200c (骨)
  • コナイヤム 200c  
今のデメリーに上記2種を加え、様子を見てから、ポテンシーを上げて200c を交互に試す予定である。日々身体に変化が出てきているのでこのまま継続していきたい。ポテンシーの高い200c は、心にも効くので早く試してみたい。

たった1週間ほどしか経ってないのに、少しずつ日常生活ができるようになり、気力も出てきた。家族、がん友達、友人みんなの深い愛情に感謝するばかりである。

2010年5月4日火曜日

私の弟



2日の夜10時頃、突然私の一番下の弟が、子供と一緒にやってきた。いつも気にしてくれていて、電話をまめにくれていた。私がダウンしていたその3日前にも電話をくれていて、わざわざ愛媛から来てくれた。いっぱい果物や野菜などをもってきてくれた。長男夫婦も心配して、釘煮やたけのこ、果物をことづけてくれた。写真にはないけど、にごり酒、玄米1俵(40升)
と三男夫婦はもちろん、長男夫婦、田舎の父母の想いが詰まったみやげだった。

これだけでも胸熱くなるけど、弟は朝8時半に出発したそうだ。これでもかこれでもかとハプニングがあってやっとたどり着いた。淡路島トンネルで車が急に動かなくなりJAFを呼び、近くの修理工場へ。それからレンタカーを借りて向かう途中、別の車に当てられ前面が少し凹み、分かりにくい我が家をカーナビで探しつつやって来たのだ!もちろん帰りはレンタカーを返し、淡路島からJRで帰らなければならない。

三男は、背は180㎝以上あり、大阪の我が家(120㎡)は、狭過ぎてしんどいからであろうか、なんとホテルを予約してきていた。だから30分くらい我が家にいて、すぐホテルに向かった。脚はがくがくで疲れ切った顔がかわいそうでならなかった。夕飯も食べてなく、我が家もおにぎり程度しかなく何も持たせる物もなく、情けなかった。車修理も電気系統がだめになったようなので修理代は相当かかりそうだし、すごく出費させてしまって心が痛む。

三男のように人を大切にしていて(みんなそうだが、すぐ実行はなかなかできない)、友人が窮地に陥ったり、病気になったりすると、日本全国どこであろうとすぐかけつける。仕事も家庭事情、経済事情もあるだろうに、一向に顧みずその人を一心に思い行動する。姉の私は、いつも思いつつもできないことが多く、弟には本当に頭が下がる。今時弟のような熱い想いと義理と人情の深い人間は見たことがない。絶対的に信頼できるし、何事も受け入れてられると思う。

ありがとう。ちなみに、私は4人兄弟の長女、弟が3人いて、長男と三男は愛媛に、次男とは大阪にいる。三人ともいい連れ合いをもち、みんな家族を大切にし、みーんな仲がよく大切にしあっている。お姉さんの私は、弟夫婦に甘え、生かされている。

2010年5月3日月曜日

その後


相変わらず、鉄分の点滴に週2回通院している。このところ、鉄分3倍モード(以前は2倍)に増やしてもらっているが、身体全体の重たさとしんどさは変わらない日が、昨日まで続いていた。

4月28日より、「月のしずく」とホメオパシー療法を始めた。
月のしずくは、弘法大師にゆかりの深い 高野山麓 神野々の里に沸く地下水「
金水」とその深層1187mより湧き出るミネラル豊富な温泉水「銀水」をバランス良く融合させて生まれたミネラルウオーターです。詳細は、http://ima-coco.jp/proactive/7.1/SGS1/

ずーっと花粉症に悩まされていた親しい友人が、「月のしずく」を2、3日飲んだら、劇的に改善されたのを知ったので、きっと
35億年前の水だし現在の地球ではあり得ないほど多くのミネラルを含み不思議なパワーのある水だから、一度試す価値はあると思い、さっそく注文した。

ホメオパシーは、がんにも詳しいホメオパスから選択してもらったが、とてもネット注文できる状態ではなくあきらめかけてたら、友人が夜遅くとりあえず手許にあるデメリー4種類を届けてくれた。

  • サポートCho    (腸)
  • TS-01      (血)
  • サポート Chi-Meg (血) 
  • カルクフォス (骨)一番低いポテンシー

その他マザクンチャー(血)、シンファイタム200(骨)、コナイヤム200、TS-21も
間もなく届く予定。

28日よりはじめ、その後3日間は身体中が痛み、肩甲骨あたりは上がらなくなり朝から晩まで横になっていた。4日目の昼起床してから、なんか身体が軽く感じられ家の中で歩いたり、数時間椅子に座ったりできるようになった。2日目の採血では、ほんの少しではあるが貧血の数値が改善されていた。今日は点滴通院した帰り、久しぶりに買い物に行きランチをしてきた。だんだん良くなるような予感がする。

事実をすべて網羅しなければならない。28日に気功教室があって身体が動かないのに連れて行ってもらい、やはりほとんどできなかったが、帰り際先生はじめ何人かが私の身体に手を当てててくれた。驚くと共に、みんなのあたたかい波動を感じ心から感謝した。そのなかのスピリチュアルつながりの友人が、あるヒーラーを紹介してくれた。即座に予約をお願いし、その日の夜7時にお会いできることになった。あった途端明るく元気なパワーに圧倒された。身体をあちこち手当てしてくださり、あとは感謝の気持ちを自動書記のように書きながら言葉にも出してくださった。1時間半以上経っていた。まだまだ訪ねてくる人がいるようだったが、ゆっくりと対応してくださった。始めての体験だった。

28日を起点に一度にいろいろなエネルギーが私の身体に入って来たのかもしれない。それから身体が反応し辛い3日間であったが、それをすぎると「あれ??」ほんと不思議に身体が軽くなっていた。まだ昨日今日のことだから、結論は早急かもしれないけど、うれしい。無理しないでしばらく様子見しよう。


2010年4月23日金曜日

貧血と久々の検査


今年になってから、特にしんどい。階段を2、3段上がるだけで、心臓がドキドキ。日によっては、キッチンに立つだけで数分ともたない。長時間歩くこともままならない。

年のせい、いや更年期かもしれないと思ってなんとかごまかしていたが、3月の血液検査で、主治医がびっくりしたような顔をして、「よく立っていられるね。ヘモグロビン濃度が平均値の半分以下になっている。輸血しないといけないね。」と言われた。輸血はどうも抵抗があったので、とりあえず鉄剤の薬と週2回の鉄分の点滴に通院することにした。

ということで毎日が通院生活のような忙しい日々となり今に至る。夫に、病院の送り迎えから家事全般をしてもらい、まるで父母と同様、介護されているような生活になった。おまけに20年来風邪をひいたこともなかったのに、このところの異常気象でついに私も風邪をひき、もういろんな症状が出てきて、がんちゃんか、風邪か、貧血か、はたまた更年期(?)か、わけがわからなくなった。まー、症状が出るということは、身体がちゃんと反応し、体内にたまっている老廃物をデトックスしているに違いない。しばらく我慢して体調回復を待とう。

今日、1年あまり避けていた検査(骨シンチと造影剤入りCT検査)を1日がかりでしてきた。検査後すぐ結果も出るので、悩む時間もない。結果は、肺と肝臓への転移は今のところみられないが、骨転移が骨盤と背骨にかけてかなり広がっていて、背骨は骨がスカスカ状態になっていた。私もモニターで確認。心配性の主治医は、またまた「すぐ放射線をかけておいた方が安心。いつ折れてもおかしくない状態だ。」放射線は、できたら避けたいのでとっさに「セメント療法はどうでしょうか?とりあえずは、再びハイパーサーミアで治療してみます。」と言って、逃げ帰ってきた。

これからも通院生活は、続く。よしよし、私のがんちゃんいい子でいてね。

2010年3月18日木曜日

突然のうれしい贈り物!


今日昼過ぎ、郵便受けに送り主も記載なく、CD在中というメール便が届いた。

あやしい!何だろうと開けたら、友人からの最もうれしいプレゼント!!
  • 小野リサの「ASIA」
  • Swami Jr の「 Outra Praia」

彼は、主に音楽のブログ(いろんなジャンル、それはそれはディープな世界)を毎日のように更新している。すごくセンス良くってカッコいいブログです。

http://komepapa.asablo.jp/blog/



私の小野リサ好きを知っていて、最新アルバムを選んでくれたようだ。でも彼のブログコメントでは、

小野リサ。最新盤、1999年以来「音楽の旅」というコンセプトで、さまざまな国のさまざまなジャンルのご当地の名曲をボサノヴァ・テイストにアレンジし 発表、その人気シリーズ?のアジア編である。「サウダーヂ満載の必聴盤!」と解説にある。まあそのまんま、アジア各国の代表的なスタンダードをボサノヴァ で。しかしこのシリーズ、なんでもかんでもボサノヴァにしなくてもと思うのだが、可も無く・・取り立てて素晴らしい出来とも思えない。日本に限って言えば 「ボサノヴァ」って言えば彼女なんだろうなあ。ゆるくてワンパターンな歌唱は嫌いでは無いが、誰もが聴きやすくて心地良いと感じるんだろうな? オリジナ ルも聴きたいな、デビュー後の何作かは瑞々しく期待したのだけれど・・。前々作のジョビンへのトリビュートは好きなんだけどな。タマには慣れ親しんだアジ アの名曲でゆったり過ごされてみては如何でしょうか。・・と言うしか無いか?


なーんて辛口コメント。でも妙に納得。1回聞いた後は、Swami Jr の「 Outra Praia」を何度も聴き続けている。これが最高にGOODで、耳に心地よい。Swami Jr って、全く知らないおじさんだけど、どうもすごいギタリストらしい。参加メンバーも超豪華みたい。何人かのヴォーカリストは、それぞれ魅力的で聴き惚れてしまう。独特なニュアンスのある美しい歌声。ブラジリアン・ミュージックの魅力にとりつかれそう。音楽のプレゼント、これほど心躍る出会いはない。


そういえば音楽は、私の心身のビタミン剤かもしれない。入院時もずーっとipodで朝から晩まで聞いていた。最初はAnn Sallyのアルバムばかり。癒されるような透きとおった優しい声を何度も飽きることなく聴いていた。退院すると代わりに小野リサやジョアン・ジルベルトの数枚のアルバム、ヴォサノバを散歩中、電車の中、聴き続けた。

それからは、komekomeさんからDiana Krallを、おしゃれで都会的なムードにうっとり。時々ロックも少々、それからスピリチュアル・ヒーリング音楽、チューニングフォーク(音叉)と、なぜかジャック・ジョンソンも時々。

音楽によって、私は元気になったと思う。気分は軽やかに、細胞のひとつひとつが喜んでいる感じ、気持ちが前に進んでいく。曲のメロディやムードを楽しみ、ほとんど歌詞を聴いていない。あまり知らないけど、マイ・フェイバリット・ミュージックであれば、しあわせ!

未知のすてきな音楽との出会いをkomekomeさんにいっぱい教えてほしい。



2010年2月23日火曜日

みその仕込み



日曜日にやっとみその仕込みをした。今年は玄米麹を使った玄米みそ作り。

米こうじ味噌に比べ、繊維質、ビタミン、ミネラルが豊富で、やや優しいまろやかな味噌に仕上がるそうだ。ただし米麹に比べ麹菌の力が弱いため発酵がやや遅く出来上がりが少し遅くなるらしい。大豆、麹ともに2kgずつで仕上がりは8kgくらいかな?

大豆をゆでてつぶす力仕事は、ほとんど夫がしてくれたので何とか半日で終わった。ああだこうだとふたりでレシピを見ながらの作業で、疲れ果てた。夏を過ぎる頃出来上がるのが待ち遠しい。手作りみそを食べると、市販のみそのツンとした味は食べられない。無理してでも作って食べたい!

2010年2月19日金曜日

今日は、ついてる!

今日は、月1回の診察日とソルトスタジオ尼崎とめいっぱいつめこんだ一日だった。

ソルトからの帰途王将の餃子が食べたいなと思いつつ、阪神尼崎駅近くの「ギョウザの王将」の店の前まで行くとなんと持ち帰り餃子1人前210円が150円に、ラーメン2人前が105円で店頭販売していた。こんなに安いとついつい私はいつも聞いてしまう「どうして安いのですか?」と。後ろのおばちゃんが、「姉ちゃん、賞味期限も切れてないしだいじょうぶや。」と親切に調べてくれた。重たい荷物になることも忘れ、いっぱい買い込んで電車に乗り込んだ。

今日は、すごくついてる日だなあと考えてみると、あったあった、しあわせの連鎖(?)。
  • 朝の「とくダネ!」の今日の占い血液型選手権で、B型がトップだった。
  • 病院での採血とゾメタの点滴どちらも右腕中央で一発で入った。こんなこと年に1、2回しかない。あちこち注射器を刺されて、あげくは右手首に、しかも内出血することも多い。
  • ソルトスタジオへ行く途中、「尼崎えびす神社」の鳥居に気付き商売繁盛でも祈願しておこうと立寄り、帰りおみくじをひいてみると「大吉」なり。近くの神社や堀川えびす、お初天神ではのきなみ末吉ばかりだったのに。いい言葉をいただき、うれしくなった。「仰いで天に恥じず、附して人に恥じず。天に向かっても、人に対しても恥ずるところがない人生に、最高の運気が巡ってくる。人望も厚く、信頼も高い人間関係に運気は上昇の一途をたどる。。。。。」
  • めったにないギョウザの王将のセールに出会う。
  • 帰りの電車は、通勤ラッシュにかかり立ち通しかと思ったけど、阪神電車も地下鉄も両方とも不思議と1席だけ空いていて、まるで私のためのシートのようだった。
  • もちろん夕食は、餃子たっぷり、やっぱりおいしかった。

マーカー値は、CEAが300ほど上昇して2679.6となり、ショックではあったけど、今日一日を思い起こし元気になった。ものは考えよう、日頃の不摂生(最近目にあまるものがある)に気をつけなさいということとしよう。間食を控え、新鮮な野菜と果物をたっぷりとり、気功やウォーキングを増やし、メリハリのある生活を心掛けよう。




2010年2月7日日曜日

不思議なこと・その2

乳がんと同時に骨転移のステージ4の宣告以来、西洋医学では完治の可能性はほとんどないと言われ続けてきた。抗がん剤やホルモン剤の耐性ができると新薬に変え続け、それがなくなると命もそれまで。少しでも長く生き延びたいという必死の思いで、毎月のように講演会、セミナー、相談会に出席し、ドクターを追いかけた。

病気のこともひととおり理解でき、西洋医学上の治療の中でより最新、より効果のある、より身体に優しい治療方法を選択してきた。ひとつの治療の耐性が出てくると、次の治療を探って調べたりセカンドオピニオンをしてきた。マーカー値のアップダウンで生活リズムが変化していった。

と同時に退院以来、目に見えない世界への興味がだんだん頭をもたげてきた。むさぼるようにいろんな本を読んだ。天外伺朗、坂本政道、船井幸雄、リズ・ブルボー、アーノルド・ミンデル、エハン・デラヴィ、ゲリー・ボーネル等々、、一方、まだまだ精神的に揺らいでいる時期でもあったので「引き受け気功」に2年ほど通い、藤谷先生に元気と自己信頼をいただいた。山口忠夫先生の「直伝霊氣」のセミナーに京都まで通い、修了証を、「エリクソン催眠師初級・中級・上級」講座も受講。自分のオーラーを診てもらったり、遠隔ヒーリングをしてもらったり、、

とにかく、生きのびることをそういった世界に求めた。現実は、今の医学では完治しないと言われていたのだから。退院後2、3年間くらいそのような生活が続いた。疑い深い私でも、そうこうしているうちに、何か目に見えない世界があるように思うようになった。

そういえば、不思議なこと・その2を書こうとして、前書きが随分長くなってしまったが、最近思い当たることがある。

前記の時期、ネット検索していて「無料遠隔ヒーリング」という言葉に目がとまり、申込をした。乳がんであることと第一腰椎に転移していることを伝えた。その後、日本スピリチュアル・ヒーラーグループから1通の封書が届いた。スピリチュアル・ヒーリングの説明と生活面での注意などが書かれてあった。それから、不思議なことが毎日のように1年近く続いた。毎日お昼前くらいに第一腰椎のあたりが、ふあっとあったかくなるのである。「あっ、またきたきた!」と叫んでいた。温泉にはいっているような気持ちよさを感じた。


そのうち、第一腰椎の違和感が自然に消えていた。いつ頃消えたのかは、分からない。昨年2月に骨シンチ、MRI、CTの検査をした時、全身に骨転移が広がっていたものの、ひとつうれしい結果があった。それは「前回見られた第一腰椎の強い集積は軽快しています。L4/5レベルの集積は腰椎症でもあり得る範囲で、前回と著変を認めません。」その時は、遠隔ヒーリングのことはすっかり忘れていたのだが、きっとそのおかげなんだなと思う。


日本スピリチュアル・ヒーラーグループ


スピリチュアリズム・サークル「心の道場」



シルバーバーチの言葉を何度も読み返し理解しようとしていたことを思い出した。
ガユ-ナ・セアロもそう、きっと私にとって大切な出会いの一つに違いない。

2010年2月3日水曜日

不思議なこと・その1

乳がん(骨転移のステージ4)と診断されて、5年と3ケ月。 経てみて分かることがある。もちろんステージ4で、5年以上生存していること自体も驚くべきことらしい。

それは、術後の化学療法EC(エンドキサン+ファルモルビシン)を4クールした時のこと。 副作用としては、もちろん脱毛、吐き気や嘔吐、発疹、白血球減少、骨髄抑制など重篤な症状が出る。なのに、髪の毛は3分の2は残り(もちろんまつげや眉毛もそのまま)、吐き気もそれほどきつくなく(体重はむしろ2kg増えた)、ほとんどの人はあの赤いファルモルビシンを見ただけで気分が悪くなるそうだが、何も知らない私は、それほど抵抗もなく抗がん剤点滴中は、ずーっっと見つめながら

「ありがとう。ありがとう。。。」とひたすら心の中でつぶやき続けた。


というのも、友人のYさんがお見舞いにもってきてくれた一冊の本、「水からの伝言」(江本勝著による。「水に言葉をかけると、結晶の形がその言葉に影響される」ということが実際の写真で紹介されている。たとえば「ありがとう」や「」などの言葉だと美しい雪花状の結晶ができて、「ばかやろう」や「ロックミュージック」などをかけると汚く破壊的な結晶になっている。 ちょうど、この本を読んだ直後だったので、抗がん剤も液体だし「ありがとう」という言葉をかけるときっと私にとってよいものになるだろうなと思ったから。

水からの伝言 株式会社アイ・エイチ・エム 
http://www.hado.com/

OFFICE EMOTO MASARU
http://www.masaru-emoto.net/
http://www.masaru-emoto.net/jp/crystal/index.html


もう一つ不思議なこと。江本さんの本の中で、「雲消し」のことが載っていた。
消したい雲をひとつ選んで見つめながら、心の中で「雲が消えました
(必ず過去形で)。ありがとうございます。」と数分念じると消えるとあった。それを読み、そんなばかな!と思いつつ、病院の屋上庭園に行き試してみた。なんと!消えた!小さな雲を選ぶとほぼ100%消えた。夫に言うと信じてくれないので、目の前で見せて始めて信じてくれた。

目に見えるものしか信じられない科学至上主義の私は、このあたりから徐々に変化していったような気がする。いろんなパワーストーンとその本をもってお見舞いにきてくれた
Yさんが、これからの私にとっての大切なキーパーソンになろうとは、夢にだに思わなかった。





復活!


昨年12月半ばより、ウエスト周り中心に重たく自由に動けない状態が続いていたが、だんだん良くなりこの2、3日前より、日常生活に全く支障がなくなった。長時間の歩行もだいじょうぶ。

やったあ〜!!結局何が原因だったのかは定かではないけど、うれしい。
やる気も出て来て、きんかん煮と伊予かんのマーマーレードを作った。それから「手作りみそ」の材料もネットで注文した。今日は先程からパンも焼いている。

身体が思うように動かないと、意欲がなくなる、面倒になる、無精になる、精神的にも病んでくる。痛みの中に入り込んでしまい、縮こまってエネルギーが外に向かわない。中村天風の言葉「心を強く持ち、病を気にしないこと」「心まで病に負けてはならない」「心は、常に積極的精神の状態であれ」を意識しながらの日々だった。その通りになり、あらためて意識、心次第かということを実感した。

今回のことはそのようなことを理解するためのメッセージだったのではと思う。
主治医に内緒にしておいて良かった。きっと骨転移からきているから、放射線でもということになっていたかもしれない。いろいろと症状が出るとつい乳がんと結びつけて考えがちだが、そのようなことはしないようにというメッセージかもしれない。

心を強く持て!何かに頼るな!何ものにもとらわれていない心の状態!
まだまだだけど、今回身をもって学んだことである。


2010年1月17日日曜日

遅くなったけど、定期診察結果報告

1月15日は、月1回の診察日。
私にとっては、すごくうれしい結果が出た。マーカー値CEA(正常値5.0以下)が昨年まで200〜300づつアップしていたが、12/11 2461.9 → 1/15 2376.7 とほんの少しながら下がっていた。主治医は「横ばいだね。」とそっけなく言ったけど、私は内心「やったー!!」上昇しなければ横ばいでもなんでもうれしい。ますます全身に骨転移が広がり「多発性骨転移」と書かれてあるが、昨年よりホルモン剤と毎月のゾメタだけである。それでも2008年10月までヒスロンHでCEAが50まで下がっていたが、それから今に至るまで上昇するばかりだった。誤差程度の下がり具合だけど、私にとっては画期的なことなのだ。

で、ついつい何が効果があったのか、思い起こしてみた。(この間、新たに始めたこと)

  • この日の採血の時、自分の血液に向かって「ありがとう」と心の中で何度もつぶやいた。
  • 2009年10/27〜12/14 にかけて、ハイパーサーミアを8回した。
  • 2日前の鍼灸治療。
  • 12月半ばよりソルトスタジオ尼崎通い(6回)
  • 通院前日、神社の「どんと祭り」で燃え盛る炎を2時間あまり見つめながら、心身を浄化、健康を願った。

どれが効いたのか、定かではないけど、この調子で心身からのアプローチは続けようと思った。ほんと、わたしのがんちゃんに感謝。
背筋皮弁による乳房同時再建の後遺症なのか、左背中からウエストにかけての手術跡を中心に重たく、身体が自由に動かない状態は依然続いている。この5年間一度も症状が出てなかったのに、こういうこともあるのだろうか?腰痛の時サラシを巻いていたのを思い出し、このところ毎日巻いている。しっかりと固定され安心感あるし、あたたかい。

私の身体は、だんだん良くなる! だんだん軽くなる!

2010年1月14日木曜日

鍼灸と漢方


今日(12時過ぎたので昨日)は、鍼灸と漢方の通院日。

鍼灸の谷村先生(兵庫県立東洋医学研究所付属診療所)に昨年 12月半ばからの背中から腰部にかけての痛みを説明したら、足の先から頭まで鍼とお灸をいつも線上にいっぱいしてくれるのだが、今日はそれ以上に数を増やしてしてくれた。気を入れてたっぷりと治療してくれた。

谷村先生の意見では、痛みの原因は、●更年期障害 ●心のストレス ●多発性帯状疱疹の前段階(可能性は低いが)といつもながら分かり易く説明してくれた。

1時間以上の治療を終え、「あれ?」「あれ?」「あれ?」もちろんいつものように腰は無いように軽いが、背中の痛みがほとんど消えている。さっきまであったのに!帰りの動作も軽やか、血色がよくなって顔は真っ赤。ほんと、谷村先生には感謝感激。うれしくてたまらない。

その後、東洋医学科の西森先生に。先生にも同様のことを伝えると、原因は心因性のものだと言って、漢方の中身を少し変えてくれた。明日から煎じて飲むのが楽しみ〜

痛みが無くなるということはこれほどうれしいことか!(全体の重さは少し残っている)夫も同様に通院しているので、帰りはふたりで梅田でお茶を飲んだり、うろうろしたりはしゃいでしまった。

谷村先生、西森先生、いつもありがとうございます。

たまたま淡路島観光協会の人が、水仙を梅田阪神電車乗り場で配っていて、もらったのが上写真。香りもすごく良く、幸せな気分にしてくれました。

2010年1月11日月曜日

続・痛み

昨年12月半ばからの痛みの続きだが、今だに痛みが移動している。今年3日右腰上部から、右腕中央部分の痛みに変わり(2日間ほど)、次は腰全体が重くなり、昨日よりウエスト中央部分の痛み、先程より背中上部の痛みに移動している。

じっとしている分には痛みは気にならないが、身体を動かす姿勢によって痛みを感じる。うなりながら動いている。骨転移のせいとしたら、痛みがぐるぐる移動するなんてないのでは??痛みが移動する度に以前の痛みは気にならなくなるし、どうなっているのかなあ。

そう言えば、12月に青森の大切ながん友が亡くなり、この9日には、5年来のがん友が亡くなった。その影響かもしれないと思い当たった。もう10年位前生涯を共に過ごす約束をした親友ががん死した時も、似たようなことがあった。腰痛になり1週間寝たきりとなったのである。 鈍感なようで心は身体にダイレクトに伝わっているようである。多分そんな気がする。だからきっとそのうち治るに違いない。自分の身体にいっぱい「ありがとう」言おう。

そんな中今日は、気になっていた食器棚の掃除と整頓をした。不要な物を処分し、きれいになった棚を見て、気分晴々うれしくなった。気持ちのいいことを少しづつ続けていきたい。

続・続・痛み

そんな私を気使ってか、夫も腰痛になった。痛みは、やはり心と深くつながっているらしい。病気の意識から抜け出て、自分の中心をちゃんととろう。心のありようが、即人生、「心にないことは生じない」と中村天風も言っているではないか!潜在意識までしっかりと落としこもう。そうそう、恐怖心や心配や不安や悲しみは禁物。今を楽しみ味わいつくそう。

2010年1月8日金曜日

10年日記



19年間、日々の覚え書きとして日記をつけている。5年日記(1990-1994)、5年日記(1995-1999)、10年日記(2000-2009)。今年はどうしようかなと思いつつ購入していなかった。夫は5年日記にしたら?言う。私としては、買うなら10年日記と思っていたが結構高価なので、エクセルでデジタル日記でもしようかと思案中だった。これからも長生きするんだ、元気なんだと思っている自分と夫の5年日記という言葉(私の病気を意識?)に私はどういうわけか過敏に反応し、「私があと5年も生きていられないと思っているの?」と声を荒げてしまった。

それから夫は、2、3日本屋さんに通い10年日記を探して購入してきた。それが右側の日記だ。今までは博文館のシンプルでまだ耐えられるデザインのものを愛用していた。夫の買って来たのは、やぼったく男性的なデザインのもの。これを10年見て暮らすのかと思うと。。。

一瞬腹立たしかったけど、夫は私のことを一心に思い購入してきたのだ。そういう夫なのだ。夫の思いやりなのだからこの10年日記を使用してみようと決めた。案外日々の体調データーの書き込みをはじめいろいろと工夫されており、機能的であった。正月早々、我が家の日記問題は、一件落着。夫に感謝、それから新しい日記帳さん、これから10年よろしくお願いしますね。

2010年1月3日日曜日

昨年末からの痛み

全身骨転移しているにもかかわらず、違和感を感じる程度で痛みを感じたことはこの5年間なかった。治療の副作用もほとんどなく順調であったが、この1年くらいから少し症状(下記)が出て来た。がんのせいか、それとも老化のせいか定かでない。

  • 2008年11/9〜12   帯状疱疹→温泉の効果か、1月ほどで治った。痛みも軽く、跡もほとんど残らなかった。
  • 2009年1/5〜1/30   出血(婦人科検診では異常なし)→漢方を飲み始めて1週間目からぴたっと出血が止まった。
  • 2009年2/2〜3/31   朝起床時のみ、右手のしびれとかいだるさ→手根管圧迫症候群(?)鍼灸のおかげか、自然に治る。
  • 2009年4/20〜5/30 左手首の痛み →自然に治る
  • 2009年12/15〜    左胴体(乳房同時再建した手術跡に沿って)の痛み(体がロボット状態)が年末まで続き、30日くらいから治り、次の日は腰椎の痛み、これも治り、今日3日から急に右腰上部の痛みとなる。→ぐるーっと痛みが回っていってる感じだけど、なんとか良くなっていくような気がする。不思議な私のがんちゃんである。
12月半ばからの痛みは、結構こたえた。思うように体が動かず、かがんだり下着の脱ぎ着も不自由した。トイレも大きい方は力むことができず、、、ベッドから立ち上がることもできなかった。手すりがこれほどありがたいと思ったことはなかったし、お年寄りの気持ちが心底理解できた。今なら身障者用のトイレや住宅プランは、きめ細やかに対応できる。そんな仕事をじっくりしたいなあ。。 痛みがずーっと続いたいたけど、仕事や家事はいつも通り続けた。痛みが出始めた頃は、やっとステージ4の乳がん患者らしく(?)なってきたのかなあと一瞬思ったけど、これはきっと何かのメッセージなのだと思い気持ちを取り直す。

「痛みについて」稲田さんのメルマガの中に、寺山心一翁先生の下記引用があったけど、私も同様に私のがんちゃんに向かい合って、何とか気力で快方に向かいつつある。

寺山先生の本『がんが消えた』(日本教文社刊)の中にそのことが書かれていますので、
その中から一部(77ページ~)を以下に抜粋させていただきます。

 ****以下抜粋*******

私の一生で、止まったことのない自分の心臓が急にいとおしくなって、
上から当てた手を通じて、心臓に向かって、
「心臓さん、本当にありがとう。
 今まで一度も止まったことがないんだね」
と、心から感謝の言葉を掛けた。
何か、胸に込み上げてくる感動に涙が出てきた。
同じようにして、胃も腸も、手も足も、
みんな生きてきたのだということが分かってきたら、すべてが可愛いのだった。

次に右胸に手を当てたとき、肺には感謝ができたが、
肺に転移していたらしい腫瘍に対しては
「ありがとう」という言葉が口から出てこなかった。
かける言葉をいろいろ考えていたとき、突如、
天からか、言葉が降りてきたような感じがした。

「この腫瘍は、自分が作ってしまったんだ。
 自分の悪かった行いの結果である。
 これは自分の子供のようなものである。
 いとおしい子供である」

と、言葉が降りてきたのである。

何か、えもいわれぬ感情が胸の中に湧き起こってきた。
そして自分が作った腫瘍に対して声をかけてあげる言葉が出てきた。
「ごめんね。僕のケアが足りなくて、僕が作っちゃった。 
 言ってみれば、ぼくの子供じゃないか!
 愛しているよ」
と言い終えたら、涙がとめどなく流れてきて、急に痛みが和らいだ。
なんと、耐えられる痛みへと変わっていった。

その夜、私は久しぶりに眠ることができた。
翌日から、私は昼寝のときでも、目をつぶる前には必ず、
腫瘍に「愛しているよ」と言い続けた。
そうやって声をかけると、まるで合図のように、
不思議と痛みが減少するのだった。

稲田芳弘

2010年1月1日金曜日

2010年新年おめでとうございます



今朝は寒かったけど、清々しい正月日和だった。年末までほとんど外出ばかりで、大掃除も手抜き、おせちも黒豆、紅白なます、野菜煮、ごぼうのごま酢煮、お雑煮の準備程度をテレビを見ながらおおざっぱに作っただけ。お正月なんかしなくていいんだと思うと、肩の力がぬけて気持ちもゆったりとしてくるから不思議!

昨日から今日に続き、今日は明日へと途切れることなく続く。私自身もずーっと続いている。突然変わることはない、自分の中心感覚を信頼して少しずつ私らしく変化していきたい。外の世界に翻弄されることなく。そう、今年もよりいっそう自分の感覚・気に耳を傾けそれに従って生きていきたい。社会の常識ばかりでなく、自分自身が作り上げた価値観で自分をがんじがらめにするのはやめて、もっと自由に軽やかに生きてゆきたい。感動は生きる元気と勇気を与えてくれる。今年もたくさんの感動を味わいたい。

写真は、太陽の周りにできた虹。車の中から撮ったのでまあるい虹全体を撮れなかったのが残念です。